雑くらし手帖

26歳OLのしょうもない日々

逃げるは恥だし役にも立たないし

すれ違う人と目が合った時、「あ、今ブスだと思われた」と思う。

仕事でミスを指摘されたら、「何で私はこんなにゴミなんだろう、生きててすいません」と思う。

 

私は、ネガティブを具現化した生きものだ。

 

だがこれまで生きてきて、ネガティブ思考であることで困った試しが無かった。

「死にたい」「どうせ」などと息を吐くように零しても、友達や家族、当時の彼は上手く流したり受け止めたりしてくれた。

今思えば、皆優しくてある意味「無関心」だったのだ。

 

先日、仕事でミスを連発してしまい、普段は穏やかな上司に珍しくきつく叱られた。

その夜、落ち込む気持ちを彼に共感してほしくて、それをありのままに吐露した。

「大丈夫だよ、辛かったね」という、甘ったるくぬるい言葉が欲しかった。

しかし返ってきた答えは、予想に大きく反するものだった。

 

「すぐ凹むのは、おまえの悪いところだ」

「自分のダメな所にちゃんと向き合おうとしない」

 

……あ。

そっか。と。

 

ふわふわとした慰めとは対極の手厳しい台詞に一瞬唖然としたが、やがてストンと頭の中に落ちた。

 

ずっと、「私はダメなんだ」で思考停止していた。

「でも何がダメなんだろう?どうすれば治るんだろう?」

という考え方が無かった。

ネガティブでいると、前に進む可能性を自分で摘み取ってしまう。

「どうせ私なんて」で終わり、自分が変わることを諦めてしまう。

そして、一緒にいる人を間違いなく疲れさせてしまう。

 

後日、私を叱った上司に、

「失敗は成功の母ってあるじゃない。

失敗したら、それを克服すれば理想の自分に近付けるんだから、寧ろ前向きに捉えるべきなんじゃないかな」

と言われた。

 

失敗を失敗と思わない。

それは、「理想の自分になるヒント」であるらしい。

 

ネガティブという自己保身術を身に付けて、不恰好な自分を目の当たりにすることから逃げてきた私を叱ってくれた人たちの優しさを、絶対に忘れない。

 

人は急には変われない。

今も鏡の前に立つ度に「私ってブスだな」と思うし、LINEが途絶えると「嫌われたのかな」と思う。

 

それでも最近、「ヘタレな自分から逃げそうになると踏みとどまる自分」がいる。

これを積み重ねれば、いつかは、「おまえといると元気になるよ」と言われるような人間になれるだろうか。

 

 

なんて考えながら、金曜の夜は更けてゆく。