雑くらし手帖

26歳OLのしょうもない日々

トランプかUNOか

「理想の自分」とかけ離れ過ぎている。

いつも機嫌が良くて笑っていて、相手を常に推し量れる余裕があって、仕事もプライベートも楽しく全力を尽くす自分でありたい。

現実は、嫌なことがあるとテンションが見るからに下がり、時に体調を崩し、自分のことで精一杯で、仕事もプライベートも中途半端な自分である。

 

この理想と現実の差にもやもやしている毎日だが、そのもやもやを受け容れたふりをして、「平凡な日常」としてやり過ごし続けている。逃げ続けている。

 

先日彼氏と飲んだ際に、「やりたくもない仕事をハイハイってこなして帰って寝て、俺って何で生きているんだろうって考えることがある」と言うので「何かやりたいことがあるの?」と訊くといまいちハッキリとした答えが返ってこない。

「じゃあ、何で今の仕事をしているの?」と自然に湧いて出た疑問を投げた瞬間、

 

「いやてめえもだろ」

 

という声が同時に聴こえてきた。

まさに自分の写し鏡の前にいた。

 

今の仕事は割と好きだが、会社が好きではない。むしろ嫌いである。

しかし、私を雇ってくれた上に好きな仕事をさせてもらっている恩も同時に感じている。

彼も私も抱えるもやもやは、今いるフィールドで地に足を付ける覚悟が無い故だと思う。

彼に、「ねえ、今から話すスヌーピーの話知ってる?チャーリーがね、スヌーピーに『君はなぜ犬でいられるの?』っていう失礼な質問をするの。

そしたらスヌーピーは、『配られたトランプで勝負するしかないのさ』って答えるのね。

今いる環境そのものに不満を持つんじゃなくて、その環境を受け容れた上でどう勝負するかが大事なんだろうね」

と話したら、

「トランプかUNOかかるたか、っていう選択肢がそもそもあるよね」

と返された。

 

返す言葉が見つからなかった私は、まだまだ配られたトランプで勝負する度胸が無いのだ。

 

このもやもやに決着をつけないといけないと思う、でもつける勇気が出ない。

 

とかダラダラ書いていたら、反対方向の電車に乗っていたことに今気付いたし何なら次終点だわ

簡潔に

【変】

 

私にとっての、「今年の漢字」である。

 

今年1年を思い起こすと、大小あれど様々な変化が身に起こったなあ……とじんわり実感する。

 

ざっくりと並べると、服と髪型の好みが変わり(シンプル志向になり、パーマをやめて髪を伸ばすようになった)、趣味が変わり(登山や絵画、写真を始めた)、習慣が変わり(ジムに通い始めた)、住む家が変わり(独り暮らしを始めた)、人付き合いが変わり(恋人が出来た)、仕事が変わり(新卒採用担当からアプリ開発担当になった)、そして家族が変わった。

 

こんなに「変」化していても、私そのものはあまり変わっていない気さえする。

変化に巻き込まれるというより、自分で意志を持って変化を起こす方が多かったからかもしれない。

(ただの無鉄砲もあったが)

落ち込むことも多かったけれど、回り回って今笑えていればそれで良いんじゃない、ずっと同じ状態は続かないし、と少し思えるようになった。

 

 

来年の目指す漢字は、思考と行動を【徹底的に】シンプルしたいという意志を込めて、「素」にしたいと思います。

 

また来年もよろしくお願いします。

思考のスイッチをパチンと

最低でも、7時間は寝ないと翌日は使い物にならない。

理想は8時間。

なんてコスパの悪い身体なのか。

睡眠時間が3時間だけでもシャキッと起きてパワフルに働き、「ショートスリーパーなんですよね!はは!」とか言って爽やかに笑ってみたい。

 

なぜ、こんなに寝ないとダメなのか?

 

最近真剣に考えた結果、「頭が疲れているから」という結論に至った。

非常に頭が悪そうな答えだが、文字通り、私の脳は常にフル稼働なのである。

朝起きてからまず、

「家を出るまでにすること」のシュミレーションを脳内で行う。何分間でお風呂に入り、何分間で朝御飯を食べ、身支度をし……

それらの行為の最中には、目につくものから連想ゲームを脳内で行なっている。

「たまたま目に入った、この間観た映画のパンフレット」→「これは面白かったな……」→「新宿シアトルっていうのも良かったな」→「今シアトルでやっている作品って何だろ」→検索

(展開パターンは無数にある)

と、いう具合に。

 

仕事中は勿論、仕事のことが脳内の大部分を占めている訳だが、たまに突然、先日会った友達と交わした会話がフラッシュバックしたり、彼氏のムカつく言動を思い起こして再度腹を立てたりすることがしばしばある。

 

そして退勤して、予定の無い日は家事をしながら、部長に忖度する課長を思い出して呆れたり、忘年会のレクリエーションを考えなければいけないことにげんなりしたり、明日に届く通販の洋服に思いを馳せて、コーディネートを考えてルンルンしたりする。

 

布団に入ってからも、あれこれ考えている。だから、なかなか寝付けない。

そうこうしていつのまにか寝てはいるのだけれど。

 

別に生産性のあることを考えてはいない。むしろ、ゼロに等しい。

嫌なことは無論だが、楽しいことでも考え続けていると兎にも角にも疲れる。

でも、止まらない。

まるで流しそうめんである。

私の思考の数々は、次々と彗星の如く流れてくるそうめんなのである。

 

だから、欲しい。

思考のスイッチが欲しい。

せめて寝る前に、あとはネガティブなことを考えそうになった時に、パチンと切る思考のスイッチ。

「うるせーもう考えねーぞ」と宣言してから、パチンと盛大に音を立てて切ってやるのだ。

 

明日死ぬ

最近、新しい部署へ異動した。

今までとは全く違う、ひたすらにアイデアを出し合う所だ。

そして、オフィスが社長室や役員室と近い場所であるため、別名「殿上人フロア」などと呼ばれている。

 

こんな絨毯がフカフカで会社のエリートが集っている所に私がいるのは、笑止の沙汰でしかない。

前の部署では、もう一度受精卵からやり直したくなるミスを数え切れないほど連発し、自分の弱みや課題と出くわすばかりで、すっかり自信を失っていた。

だが、新しい環境下では課長や同僚に久々に「褒められる」という経験をし、心の何処かで舞い上がってしまっていた。

ある人からそれを指摘されたのだ。

 

「貴女は会社では偉くなるかもしれない。いや、多分偉くなる。

だけど、会社を出たらその肩書きは無意味なんだ。会社の役員だって、電車に乗ればただのオッサン。

 

出世の為に生きるあり方もあるだろう。

だけど、会社を辞めたら?何が残る?

貴女が明日死んだとしても『あーあれもこれも嫌だったけど、でもトータルでは良い人生だった!』って思える生き方が素敵な気がする」

 

もし明日死んだら?

絶対に後悔して、成し得なかったあれやこれやが走馬灯のように目の前を駆け巡るのだろう。

家族に感謝を、好きな恋人や友達、先輩後輩に好きな気持ちを伝えきれておらず、やりたいことをやりきれておらず、仕事も中途半端で、今死んだらタチの悪い地縛霊になってしまう。

 

だから、めちゃくちゃ変かもしれないけれど、「明日死んでも大丈夫?私よ?」と常に自問して生きていきたい。

 

そういえば、前の部署の同僚が異動前に

「俺、明日死んでも良い。そういう気概で仕事してきた。」

と含みの無いシンプルな笑顔で言っていたのを思い出す。

あの時は「何を大袈裟な……」と妙に冷めた心持ちで何となく頷いたが、今となっては彼の本気が本物であったことが分かるとともに、潔い生き方に敬意すら覚える。

 

明日死んだら嫌なので、ハイキュー!!の新刊を買ったし前から気になっていた陶芸教室を予約したし、久々に絵を描きたいから画材道具も揃えた。

 

明日死んだら??と思うと、やりたいことって溢れてくるものなんだねえ。

まだまだノスタルジックにはなれない

まただ。

気付かぬうちに、浅い呼吸を繰り返していた。

 

近頃、深く息を吸えていない。

何かが自分の体内に溜まっていて、それらがいっぱいいっぱいになっている感じ。

空気が、身体全体に満足に行き渡っていない、循環が上手く行っていないような気がする。

 

人生はきっと、幸せな瞬間とそうではない瞬間とが交互にやってくるもので、心をどん底に突き落とすほどの出来事がある日突然降りかかってくることがある。

それは時に、頑張っても頑張ってもどうしようないものだ。

大好きな食べ物も音楽も絵画も本も、全く心に響いてこない、静けさとそれに伴う孤独感にずぶずぶと呑み込まれそうになる。

 

帰ろう。

 

「今日の夜、そっちに帰ってもいい?」

 

家族に手早くLINEを送り、仕事の帰りにそのまま実家へと向かった。

数ヶ月に一度しか帰らなくとも地元の駅はまだ私をヨソモノ扱いしていないようで、降り立った瞬間にノスタルジーな気持ちが猛烈に沸き起こる、なんてことはなかった。

いつもの道を、当たり前な顔をして歩く。

独り暮らしをしている今そのものが、曖昧になりかける。

 

家族は帰るたびに、予想以上に温かく迎え入れてくれる。

母は今回も、私の好物ばかり食卓に並べる。

妹は、学校での出来事や最近はまっているものなど、とにかく色んな話題を饒舌に語る。

お風呂、洗面所、トイレ、ベッド。

実家のありとあらゆる家具や物が、好きな匂いを纏って私を穏やかに受け容れてくれる。

 

家族仲は決して良い方ではなかった。

独り暮らしは、それが理由で半ば強引に始めたくらいだ。

自由、静寂、自力で生きているという感覚。

自ら望んで独りになって手に入れたものは、確かにある。

それでも、家族とそれを包む長年過ごした家に、救われる日もある。

 

ふいに、息を大きく吸う。

ゆっくりとゆっくりと、私の頭に身体に心に溜まったものたちを、吐き出していく。

 

まだまだ、頑張れる。

そんな気持ちがちゃんと形を持って私の中に存在していることを確かめて、自宅への帰路に就く。

 

亡霊

こんなに会社へ行きたい、仕事をしたいと思うことは、一度たりとも無かった。

1人でいると、深く、暗く、どろっとした海の底に引きずり込まれてしまいそうになる。

 

大好きなひとに、距離を置かれている。

 

きっかけははっきりしているのだけれど、原因は恐らくもっと前からあった。

本当に大好きなひとだ。

かっこよくて、優しくて、頭が良くて、しっかりしていて、趣味が合って、たまに見せる笑顔がとても可愛い。

気まぐれで、行列に並ぶのが嫌で、言動がたまにきつくて、背がちょっぴり低い。

彼の良い所は勿論そのまま好きで、至らない所も丸ごと、愛しいと思える。

 

彼と付き合いだしたのは半年くらい前で、私から連絡先を聞き出して食事へ誘って、程なくして彼から「付き合おうか」と言ってくれた。

こんなに私の頭が、心が、体が全部「好き」だと感じるような人は、正直に言うと今までに無かった。

実際に付き合い始めると、彼は気難しい所もあり、気を遣う場面が随所随所にあった。

それでも、一緒に山に登ったり美術館へ行ったり、クラシックコンサートへ行ったり、旅行へ行ったり、ランニングをしたり、お互いのおすすめのアニメや映画を観たり、マッサージをし合ったり、2人で同じ時間を共有していることが、本当に本当に楽しくて仕方ないのだ。

 

しかし、私は彼に支えられっぱなしだった。

仕事で悩み、疲れていて、それらを彼に零しては、彼に優しく時に厳しく励まし続けられた。

一方で彼にとっては、それが積もりに積もって大きな荷物になっていたのだ。

その荷物の重さが限界値を超えた時、気が付くと彼は以前よりも遠いところにいた。

 

前回の記事に少し書かせていただいたが、今回は「変わりたい」という気持ちが本気であること、今度は私もあなたを支えたいんだと強く思っていることを伝えたが、今も尚2人の距離はぽっかりと開いたままだ。

 

とりあえずベッドから這い出て何とかご飯を食べたが、塩辛いし美味しいとも何とも感じない。

以前は最早生き甲斐だと感じていた休日が、こんなにも煩わしい。

好きになったひとに好かれ、結ばれることが、付き合い続けることが、どれ程の大きな大きな奇跡か。

 

もう一度チャンスが欲しい。

今度は、もっともっとあなたを大事にするから。

逃げるは恥だし役にも立たないし

すれ違う人と目が合った時、「あ、今ブスだと思われた」と思う。

仕事でミスを指摘されたら、「何で私はこんなにゴミなんだろう、生きててすいません」と思う。

 

私は、ネガティブを具現化した生きものだ。

 

だがこれまで生きてきて、ネガティブ思考であることで困った試しが無かった。

「死にたい」「どうせ」などと息を吐くように零しても、友達や家族、当時の彼は上手く流したり受け止めたりしてくれた。

今思えば、皆優しくてある意味「無関心」だったのだ。

 

先日、仕事でミスを連発してしまい、普段は穏やかな上司に珍しくきつく叱られた。

その夜、落ち込む気持ちを彼に共感してほしくて、それをありのままに吐露した。

「大丈夫だよ、辛かったね」という、甘ったるくぬるい言葉が欲しかった。

しかし返ってきた答えは、予想に大きく反するものだった。

 

「すぐ凹むのは、おまえの悪いところだ」

「自分のダメな所にちゃんと向き合おうとしない」

 

……あ。

そっか。と。

 

ふわふわとした慰めとは対極の手厳しい台詞に一瞬唖然としたが、やがてストンと頭の中に落ちた。

 

ずっと、「私はダメなんだ」で思考停止していた。

「でも何がダメなんだろう?どうすれば治るんだろう?」

という考え方が無かった。

ネガティブでいると、前に進む可能性を自分で摘み取ってしまう。

「どうせ私なんて」で終わり、自分が変わることを諦めてしまう。

そして、一緒にいる人を間違いなく疲れさせてしまう。

 

後日、私を叱った上司に、

「失敗は成功の母ってあるじゃない。

失敗したら、それを克服すれば理想の自分に近付けるんだから、寧ろ前向きに捉えるべきなんじゃないかな」

と言われた。

 

失敗を失敗と思わない。

それは、「理想の自分になるヒント」であるらしい。

 

ネガティブという自己保身術を身に付けて、不恰好な自分を目の当たりにすることから逃げてきた私を叱ってくれた人たちの優しさを、絶対に忘れない。

 

人は急には変われない。

今も鏡の前に立つ度に「私ってブスだな」と思うし、LINEが途絶えると「嫌われたのかな」と思う。

 

それでも最近、「ヘタレな自分から逃げそうになると踏みとどまる自分」がいる。

これを積み重ねれば、いつかは、「おまえといると元気になるよ」と言われるような人間になれるだろうか。

 

 

なんて考えながら、金曜の夜は更けてゆく。